大久野島に散布されたサラシ粉量を計算してみた

 

10年以上経過して今更なんですが、ちょっと気になったので追記してみたりします。

 

Wikipediaの大久野島記事によると、大久野島は戦後GHQにより毒ガスの処分が行われた後日本に返還されました(Wikiには書いてないけど1947年)。同年広島医科大学(現広島大学)が生物調査を行っており、「島全体に殺菌、消毒のため厚さ3センチものカルキがまかれており、植物は枯れ海岸に貝類も生息していない有様で、到底ウサギが生存できる状況ではなかった。」と2011年8月現在記述されています。

原論文に当たる事は距離的・時間的にちょっと難しいのですが、要約したレポートが次の場所にあります。

 

大久野島海辺の調査について(毒ガス島歴史研究所)

 

これを見ると、まず気づくのは広島大の調査は海岸線の調査であり、それも西側海岸に集中している事。調査生物もカニとかフナムシ等についてであり、陸上については調査記録がありません。

次にWikipediaの記述で私が最も疑問に思った厚さ3cm(原論文では1寸)のカルキについて。これは恐らくサラシ粉の事でしょう。次亜塩素酸カルシウムの粉で、プールの消毒なんかに使われるアレ。上記リンクでは200トンが撒かれたとあります。

濃度や粒状によって密度は様々ですが、現在市販されているものはおおよそ1kgあたり1〜2リットルの容積があります。
Kgあたり2リットルとしてこれを200トン、厚さ3cmに敷き詰めると面積は0.0133平方Km。島の面積が0.7平方Kmなので、面積にして2%弱しかありません。 薬剤精製技術が未熟で密度に10倍程度の誤差があったとか、そもそも元の量が2,000トンの間違いだったとしても「島全体に」撒かれていたというのは明らかに大げさで、せいぜい海岸沿いに撒かれていた程度でしょう。Wikipediaの記述が何を根拠にされたものか出典が示されていませんがかなり疑わしい感じです。

この量からするとカルキが海岸線全体を覆っていたかどうかも怪しいですね。恐らく西海岸の工場地帯にのみ撒かれたと考えるのが妥当ではないでしょうか。なのでもし当時ウサギが野生化していたとしても、連中は山側に生息していたはずなのでカルキで生きられない状況になっていたとは考えにくいでしょう。仮に島全体に撒くとしたら1万トン必要という事になりますが、そんなの輸送にタンカーが必要な量ですし、小さな船でピストン輸送したとしてもそんな事したら海に流出するカルキで海岸どころか海流的に下流にあるらしい忠海沿岸の魚介まで死に絶えそうですが。

更に、焼却されたはずの赤筒(クシャミガス。砒素化合物が主成分)などの毒ガス容器が、北部砲台跡など島内陸部で中身の残存したままで時折発見されています。これは進駐軍が内陸の処理をしなかった、もしくは適当に切り上げたという事を物語ります。現場は結構な傾斜地、カルキを万遍なく散布するのは大変な労力ですし、そもそも当初毒ガス処理に3年必要だと主張したオーストラリア軍の意見を切り捨てて作業を半年で切り上げるために海洋投棄しまくった米軍がそんな丁寧な仕事をすると考えるのは合理的ではありません。

もし仮に万遍なくカルキが撒かれたんだとしても(かなり疑わしい事ですが)、アナウサギはその名の通り地中に巣を作る動物です。植物が全滅しない限り、カルキ程度で死に絶えたりしないでしょう。草花は一時的に枯れるかもしれませんが、根までは枯れません。除草剤撒いた事のある方ならお分かりでしょう、雑草を全滅させるのがいかに大変か。安物の除草剤だとあっと言う間にまた生えて来ます。次亜塩素酸カルシウム1剤なんかじゃとてもとても。

 

 

島のウサギが戦後放されたものだとするもう一つの根拠が、毒ガス工場で働いていた元毒ガス資料館館長による終戦後にウサギは全て処分したとの証言です。
これを疑うつもりは微塵も無いです。本当の事でしょう。しかし飼育した経験のある人なら分かるとおりウサギは脱走の名人です。あのホノボノした見た目に騙されますが、ケージのかんぬきをくわえて引き抜くくらい平気でやってのける悪の実力。戦時中数年間、どさくさに脱走した個体が1匹や2匹で済んだとは考えにくいですし、毒ガス資料館元館長インタビューによれば島では兎を食べていたそうですから管理は厳重ではなかったのでしょう。一旦逃げてしまえば世界トップクラスの繁殖力です。数つがい逃げれば十分、後は産めよ増やせよ一直線です。

 

 

……という訳で、今大久野島にいるウサギどもの中に実験から逃れた生き残りの子孫がいないと断言するのは難しそうです。勿論そうじゃない可能性も大きいし、島外からウサギが導入されたのも嘘ではないでしょう。

個人的には、正直どっちでも良いです。あのウサギは実験動物の生き残りなんだと主張するつもりはありませんが、そうでないと証明する事もできないように思います。
最後に大久野島を訪れてからもう10年以上が経過していますが、普通のウサギではあり得ない健康状態の個体が多くいた事は未だに目蓋の裏に焼き付いています。祖先の由来に関わらず連中が苦しんでいたのは間違いなく、実験動物の子孫でないから大丈夫なんだなんて事にされなければ、そしてそれを持って黒い歴史が葬られなければそれで良いのです。

 

2011/08/06 初稿

2012/05/10 Wikipediaを卑下し過ぎていたと思われる記述を修正。

 

 

参考:当ページの写真を撮影した前年に行われた環境庁の土壌調査。ウサギが食ってた草はこんな所に生えていたんです。

大久野島土壌等汚染処理対策(中間報告)について

 

 

 

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